HOUSES OF THE MOLE / MINISTRY

註)このレビュウは2004年8月5日に作成し、別サイトに掲載していたものです


Houses of the Mole

Houses of the Mole


MINISTRYのベストアルバム『Greatest Fits(2001年発売)』を聴いたときの哀しさは今でも忘れられない。EBMの、そしてインダストリアルメタルのパイオニアとして後進に影響を与え続けてきた彼らの集大成を、21世紀に聴いたときのショボさ加減といったら無かった。
完全に時代に消費し尽くされたエレクトロニックノイズの塊は、10年の時を経て制作当時の衝撃を失い、寧ろ滑稽でセンチメンタルな印象さえ受ける打ち込み音へと堕してしまっているように(少なくとも僕には)感じられた。2004年の渋谷で初期の自動車電話を片手に会話しているような、そんな気恥ずかしさすら覚えたものでした。


当時彼らが最新作で追求していた生楽器路線も個人的には今ひとつ馴染む事が出来ず、空前のヘヴィ・ロック・ブームを尻目に低空飛行を続けるセールスと相俟って、鬼才アル・ジュールゲンセンも遂にネタ切れかと嘗てはフェイバリット・バンドのひとつであったMINISTRYに見切りを付けて、早3年。


そんな彼らの新作がリリースされました。前作『Animositisomina(アニモシティモニア。逆から読んでもアニモシティモニア)』から僅か16ヶ月という短期間でのリリース。
しかも『The Land Of Rape And Honey』以来、MINISTRYのメタル路線を支えてきたベーシストのポール・バーカーが脱退、実質アル・ジュールゲンセンのソロ・プロジェクトとしての再スタート。
正直な話、「ああ、こりゃダメかな」と思いながら惰性で手に取ったアルバムでしたが、これが案外良かった。いや、かなり良かった。21世紀耳でも充分鑑賞に耐え得る。復活作です。


勿論、キャリアの中で音楽性にかなり振り幅のあるMINISTRYですので、『The Land Of Rape And Honey』, 『The Mind Is A Terrible Thing To Taste』, そして『Psalm 69(詩篇69)』の何れを「MINISTRYの本質」と捉えるかで、今作の評価も随分変わってくるのだと思いますが、個人的には『詩篇69』辺りのサウンドを意図したアルバムだと感じています。


要するにメタル好きの人からは「インダストリアル・メタル」と呼ばれ、インダストリアル好きの人からは「スラッシュ・メタルだ」と呼ばれるラインね。
あの二遊間を抜けていくような破壊サウンドを愛していた向きには、充分「原点回帰」と歓迎できる作風じゃないでしょうか。
そこで今日は、彼ら(というか、アル・ジュールゲンセン)を侮っていた贖罪の意味も込めて、MINISTRYの歴史を振り返りながら、彼らがロック・ミュージックに与えた影響について書いてみたいと思います。


MINISTRYの歴史は端的に言えば逆進化の歴史です。
当初エレクトリックボディミュージック(ビート)と呼ばれるような、ギターレスでダンス色の強いインダストリアル・ユニットとして登場した彼らは、ポール・バーカーの加入と共に大胆なギターサウンドを導入、所謂「インダストリアル・メタル」と呼ばれる音楽の開祖となりました。
その後、急速にスラッシュ・メタルへ接近し、「機械ノイズの多いメタル」的な立ち位置で現在に到るわけですが、当初コンピューター塗れだった人たちが段々生楽器に傾倒していく、逆転の面白さを感じられるかどうかがMINISTRYと長く付き合えるかの鍵になるようです(僕は途中で脱落しましたが)。


『The Mind Is A Terrible Thing To Taste』がインダストリアル・ユニットとスラッシュ色の強いインダストリアル・メタルとの分岐点であり、『The Land Of Rape And Honey』が前者の代表作、『Psalm 69(詩篇69)』が後者の代表作で、この3作がMINISTRYの黄金時代であるというのは衆目が一致するところですので、初めて彼らに触れるという人は、先ずこの辺りから聴いてみると良いでしょう。


MINISTRYに影響を受けた後進のバンドと云えば、やはりメジャーどころで外せないのはNINE INCH NAILSMARILYN MANSONでしょうか。
彼らは各々が内省的で文学的な歌詞やデフォルメされたキャラクターを備えていたことで、文字メディアと写真のインパクトが洋楽マーケティングの肝となる日本では、後にMINISTRY以上の人気を博すことになりました。
逆に言えば、これら2バンドの知名度に比べて、殊日本に於けるMINISTRYの評価は低いと言わざるをえません。また、冒頭で触れた、僕がMINISTRYのベストを聴いて感じた枯渇感というのは、恐らく彼らの音楽が90年代、NINE INCH NAILSMARILYN MANSONを始めとするフォロワー達によって徹底的に消費し尽くされたことに起因するものでしょう。
それだけ後に続く者へ影響を与えた、革新的なグループであったということです。


MINISTRYというバンドを総括する際に見逃せないのは、彼らが80年代に登場したグループである点です。
草創期のギターを排除した機械音、ノイズ、そして"cutting edge metal"と称されたインダストリアル・サウンドからのメタルへのアプローチ。これらの発想は全て、「機械化・工業化が無限に進行し、人間が排除されていく社会」という80年代型未来予想図の音像化であり、インダストリアル・メタルの原風景なのですが、この「機械化・工業化」が後に90年代のインダストリアル・アクトによって「コンピュータ化・システム化」へと置換されていく過程に、インダストリアル・メタルとは何かの答えが見えてくる筈なので。


ちょっと端折り過ぎてわかり辛かったでしょうか。
現在でも「日常がどんどん機械化されて人間味が失われていく」ことを危惧している人はそれなりにいるのでしょうが、それはおそらくIDで全ての個人情報が把握される管理社会だとか、過度のコンピュータ化が齎す未来への危惧でしょう。
これは90年代、PCや携帯電話の登場によって我々が獲得した未来のイメージです(SFの描き方としては以前から存在していたのでしょうが、リアリティの問題として)。


80年代までの近未来と云えば、専ら工業化のイメージでした。
果てしなく拡大していく産業、世界は煙突とベルトコンベアに埋め尽くされ、排気ガスに覆われた空の下、樹木は全て枯れてしまう。石油の埋蔵量がヒステリックに危惧されたのもこの時代でした。
そういえば、当時PVの小道具として頻繁に登場した金網も、最近のPVではめっきり見かけなくなりましたね。世界中が工業地帯とスラムが渾然とした灰色の街並みに染められる、そんな設定のSF映画をご覧になった方も多いでしょう。


MINISTRYはそんな時代に登場した機械と生身の身体を共振させるグループでした。
まさにエレクトリックボディミュージック。
欧米では彼らのサウンドが近未来のスタンダードになると評価したコメントは数多く見られましたし、アメリカが好景気を維持していれば、ひょっとすると90年代ロックのナショナル・アンセムはMINISTRYの楽曲から生まれることになったかも知れません。


しかし、実際には、ナショナル・アンセムとして登場したのはNIRVANAの"Smells Like Teen Spirit"でした。陰鬱なブリッジに、機械化も何も、外部世界との接触を拒絶するかのような内省的で意味不明の歌詞。
NIRVANAによって90年代ロックは「半径1メートルを歌うロック」であるとの定義が為されて以来、スタジアムで1万人が同じコーラスを歌うようなハードロック、或いは地球はひとつだとピースフルなメッセージを発信するロックなど、80年代に隆盛を極めたロックのフォーマットは軒並み説得力を失い、マーケットから駆逐されてしまったわけです。


インダストリアル・メタルもまた然り。
80年代に然程オーヴァーグラウンドでセールスを上げたわけでは無かったので、駆逐こそされませんでしたが、その後のインダストリアル・メタルはNINE INCH NAILSのように、機械音を「外部世界との共振」ではなく「世界から拒絶された孤独な私」を表現するエッセンスとして用いるようになりました。
MARILYN MANSONの「体育会系ソサエティに弾かれた苛められっ子の私」も同じ。ここでのエレクトリック・ノイズは、専ら「健全に見えるものこそ病んでいる」という気持ちの悪さを演出する為のコーティングとして機能しています。
この辺り、音は似通っていても、内包するメッセージと時代の違いですね。


新作、原点回帰した意欲作だと思います。
ただ、そんな歴史を知っているからこそ、全盛期に近くなったこの音を聴く度に、廃線になった線路の上を歩いているような、分岐して捨てられたもう一つの未来を覗いているような、不思議な気持ちになるのでした。


まさか機械ノイズを聴いてノスタルジーを覚える日が来るなんて。
僕の身体は、どうも機械として古くなりつつあるようです。