THANK YOU / STONE TEMPLE PILOTS

註)このレビュウは2003年11月に作成し、別サイトに掲載していたものです


サンキュー~グレイテスト・ヒッツ

サンキュー~グレイテスト・ヒッツ


グランジはSTONE TEMPLE PILOTSから始まった」


こんなことを書くと世界中のNIRVANAファンから石礫を投げられそうだが、ここは譲れない。グランジのオリジネイターはSTONE TEMPLE PILOTSだ。というより、当時「グランジ」と一括りにされていたバンド群の中で、実際に「グランジ」というジャンルに属する音楽をやっていたバンドは、僕の知る限り、STONE TEMPLE PILOTSだけである。


勿論、僕はNIRVANAPEARL JAMをロックの歴史から抹殺しようってわけじゃない。彼らやALICE IN CHAINS, SOUND GARDENといったバンドが齎したグランジ・ムーヴメントが90年代初頭にロックの巨大なパラダイム・シフトを生み、アメリカだけでなく世界中の若者に大きな影響を与えたのは皆さんご存知の通り。更に間口を大きく取って「オルタナティヴ・ロック」に話を移せば、先駆者としてDinosaur Jr.やSONIC YOUTHの名前だって眼鏡をかけた音楽通としては外せないところだろう。


但し、彼らの音楽は余りに独特で、カルチャーやファッションとしての「グランジ」史として纏めることはできても、ひとつの音楽ジャンルで括ってしまうのは無理があったのも、これまた皆さんご存知の通り。91年当時の「グランジ」とはバンドの集合体、或いはシアトルという都市イメージや都市文化の集合体であって、決して音の集合体では無かった。


験しに「NIRVANAという言葉もPEARL JAMという言葉も使わずに『グランジ』を説明してくれ」と言われたら、僕たちは「メガネ」「出っ歯」「カメラ」「ブランド品」というキーワード抜きに日本人観光客の印象を語れと言われた白人さながら途方に暮れてしまうだろう。


STONE TEMPLE PILOTSはそんな時代に登場した、ポップ・ロックのフィールドからグランジへの回答、マーケット音楽としてのグランジの雛形だった。カート・コバーンと何の親交が無くても、シアトル出身でなくても、本人たちは極めて真っ当なアメリカン・ロックを鳴らしているつもりでも、それが聞き手にはグランジに聴こえる。パクリだ形だけを盗んだ売れ線グランジだと散々に叩かれながらも大ヒットを記録した92年発表のデビュー作『CORE』は、そんな我々が漠然とバンド群を聴き比べる中で抱いていた「グランジのイメージ」を具象化した、まさしくグランジのコアを射抜く作品であったと思う。


あの瞬間、ポップ・ミュージックの1フォーマットとして、グランジは始まった。


恐らくスコット・ウェイランド(ボーカル)はロック・ミュージックのコアを嗅ぎ取る感覚が極めて優れた男だったのだろうと思う。そして「ロック」なんて堅い言葉とは裏腹に、ロック・ミュージックは全身性感帯とも言うべき敏感な淫乱女であったために、92年にコアなロックはグランジと浮気をした。91年に1年早くグランジを「発見」していた僕たちコアなグランジ・ナードはボス面のベテランマクドナルド店員よろしく、それを不誠実だと批判することに自分のコア、つまりアイデンティティを見出していた。敵がいなけりゃ始まらない。流行に乗って怒る俺ってば最高にエッジが利いてる。


「真似してんじゃねえよ、俺は勤務歴1ヶ月のベテラン店員だぜ?」


全てのグランジ・コア坊ちゃん達は、STONE TEMPLE PILOTSに莫大な借りがある。


「ハード・コア」という言葉を引用するまでもなく、コアとは本来柔らかいものなのだ。僕たちは皆コアな音楽ファン。一時代前の流行を自分のアイデンティティと信じ込んでは最新の流行を柔だと批判する、誇るべきフニャチン集団。郷愁を友達に、皆で大人の階段を上っていこう。僕たちは皆コアな音楽ファン。


そしてグランジ発見から10年、流行りに敏感なロック・ミュージックのマーケットでしきりに80年代懐古ロックや80年代再構築ロックが持て囃されるようになった頃、スコット・ウェイランドが元GUNS N' ROSES(まさに80年代ロックの象徴だ)と新バンドを結成してSTONE TEMPLE PILOTSの歴史は唐突に終わりを告げた。


僕たちは相変わらずNIRVANAの素晴らしさについて、91年の素晴らしさについて、声高に語ることをやめられない。懐古主義が流行りだからだ。10年前は良かったよな、あの頃のロックは魂があったよ。なんて語り合って同世代同士でノスタルジー、思い出の共有。グランジって素敵やん。


自分たちが熱狂的に信奉した「グランジ」が「アリーナ・ロックで感動を共有する」ことへの反動と拒絶から来る個人主義のロック・ムーヴメントであったことなど、皆とっくの昔に忘れてしまった。10年前の自分のポリシーなんて、覚えてるわけないよね。


10年前は良かったよな。あの頃のロックには魂があったよ。俺、昨日のことのように覚えてるぜ。