[ 網 ] 『舟中の指、掬すべし』とは (01)

このダイアリーのタイトル『舟中の指、掬すべし』は春秋左氏伝から引用しました。今更の言及ですが、今日はこの『舟中の指、掬すべし』という言葉の意味と、何故この一文をタイトルに選んだかに関して少し触れてみたいと思います。


「舟中」とはそのまま"船の中"という意味、「掬す」は「キクス」と読み、文字通り「すくう(掬う)」という動作を表します。救助ではなく、「金魚すくい」の「すくう」ですね。「掬」という漢字の語源は「手で散らばった米を集める」という所から来ているようです。「べし」は可能の「可シ」なので、平易な日本語に置き換えると『舟中の指、掬すべし』とは「船の中の指はすくう事ができるほどであった」といったところでしょうか。


この一文が記載されている「春秋左氏伝」は、孔子が編纂したと言われる「春秋」という歴史書に注釈を施した書物のことです。「春秋・戦国時代」という単語を世界史で覚えた人も多いんじゃないかと思いますが、孔子自体が春秋時代の人なので、春秋左氏伝には春秋時代から見て未来にあたる戦国時代のことは記述がありません。


『舟中の指、掬すべし』はその春秋左氏伝中の最も印象的なフレーズとして、古来より度々引用されてきた名文です。以下、簡単に場面の説明を。


春秋時代は北の晋、南の楚という二大国が争う時代でした。晋の景公、楚の荘王(いずれも君主の名前)の時代、この二大国が黄河の畔で衝突した「ヒツの戦い(「ヒツ」は必+おおざと)」という大規模な合戦があり、川べりで楚軍の奇襲を受けた晋軍は大敗してしまいます。
逃げようにも、前には楚の大軍、後ろは黄河。大混乱に陥った晋の兵士は我先にと船に乗って黄河を渡ろうとしますが、少ない船に多くの兵士が群がった為、船が転覆しそうになります。そこで先に船に乗った兵が後から乗り込もうと船べりをつかんだ同僚の兵士の指を次々と剣で切り落とし、多くの味方を見捨てて逃げた、というわけです。


切り落とされた兵士の指は、船を埋め尽くして掬えるほどであった。
これが『舟中の指、掬すべし』という意味ですね。晋軍の惨敗ぶりが伝わる名描写でしょう。
僕は母親が高校で古文と漢文の教師をしていたこともあって、子供の頃から結構身近に漢文がありましたので、元々『舟中の指、掬すべし』が好きなフレーズだったのですが、今回このフレーズをダイアリーのタイトルに選んだのには、ちょっとした意味があります。


このダイアリーで、僕は日々購入した音楽や読んだ本、鑑賞した映画やテレビの記録など、所謂消費生活の記録を残そうと試みています。


以前は洋楽に特化した音楽サイトを作っていて、其処ではもっと各々の音源に対して詳細な記述を心がけていました。しかし20代も後半に差し掛かり、社会人生活も長くなると、お金に余裕が出来て学生の頃なら狂喜するほどの量のCDやDVDが購入できるようになったになる反面、ひとつひとつの購入物に対する思い入れはどうしても少なくなります。
どこかで「作品」として捉えていたもの達が「消費財」というモノに変わる瞬間がありました。
最近では偶に本棚やCD棚を眺めて「こんなの買ったっけ?」と首を傾げることも少なくありません。映画もタイトルは覚えているのに、内容が全く思い出せない作品が増えました。


それでも、モノを消費するペースが落ちることは無く、寧ろ「あの10年前にCDを買う度に覚えていた感動は何処へ消えたのか」という焦りから「どこかに眠っているはずの特別なモノ」を探して消費のペースを速めるという矛盾した行動に出てしまったりする。
僕だけじゃないですよね、きっと。
HDDの空き容量を増やすためだけに休日が減っていく。iTunesの容量を60GBに保つためにライブラリから楽曲を消す日々。棚に空きを作るためにCDを処分する週末。


そんな、何かに追い立てられているような消費生活の中で、『舟中の指、掬すべし』という言葉をふと思い出しました。先へ進むために指を切り落として、僕は何処へ進もうというのだろう。編集して残した映像、ライブラリを調整して残した楽曲、段ボール行きを免れたDVD、「カバーをかけてください」と頼んだくせに読み終わると埃をかぶったまま放置される本。大切だと思って手元に残したモノ達は、結局舟中の指のような、何かの残骸ではないのか。WEBという情報網を駆使して賢く生き抜いているように見えた自分の消費生活は、振り返ってみると指を満載した舟で助かったと叫ぶ兵士のような滑稽な風景になっていないか。


じゃあ生活を改めろよ、という話ですが、それは恐らく無理なのです。
先に船に乗り込んだ兵士が後から群がってくる兵士の指を無我夢中で切り落としたように、一旦始まってしまったこの生活を捨ててまた向こう岸に引き返すなんて無理。だから確信を持って、言い訳の為に、僕はこのダイアリーをはじめました。


「これは消費じゃないよ、創造だよ。だって俺レビュー書いてるもん」


もうひとつひとつの音楽と真摯に向き合って、長い文章を書くなんて無理かも知れない。「あの頃は良かった」という懐古趣味の長文記述なら出来るけど、それは年寄り臭くて嫌。だからお手軽にはてなダイアリーで、お手軽にレビューを書き捨ててお手軽サブカルデーターベースを。レビューを書いたから、この作品は俺の中でもう消化した。レビューに昇華した。だからHDDから消していいの。だからiTunesから消していいの。だからこのニュースは忘れていいの。いじめ問題に言及したから、もういじめ問題は忘れていいの。


こうして船を漕ぐのは止められないけど、一応形だけ戒めとしてアイロニーは忘れたくない。だから消費生活の残滓を記す日記のタイトルは『舟中の指、掬すべし』。大人になって悩んでるフリと折り合いを付ける技術だけが上達しました。明日からまたどんどん指を切り捨てていきたいと思いますが、これだけは書いておきたかった。『舟中の指、掬すべし』。


この話、そのうち続きます。