星野SD絶句…虎の鬼軍曹・島野総合特命コーチが急死

阪神島野育夫総合特命コーチが15日午後、胃がんのため西宮市内の病院で死去した。63歳。夏場から体調を崩し、入退院を繰り返していた。今季限りで現場を離れ、来季は球団アドバイザーとして優勝奪回をアシストする役目を任されていた。星野仙一・現日本代表監督をサポートし続け、03年の阪神優勝に貢献した「名参謀」だった。葬儀・通夜の日程は未定。
http://www.sanspo.com/baseball/top/tig200712/tig2007121600.html

なんてこった。星野監督を支え続けた名参謀・島野育夫氏が死去。残念すぎるニュース。


人気はあれど85年の日本一以降すっかり低迷して万年弱小球団だった阪神に飛び込んできて19年ぶりの優勝を実現、体調不良を理由に潔く退任したことで野球界を代表する偶像に祭り上げられて「西の長嶋茂雄コース」を歩むことを余儀なくされた星野仙一。あの優勝の記憶が忘れられず、星野の残像にすがりつく阪神ファンが「球団のシニアディレクター」という良くわからない肩書きでも星野仙一阪神の縁が切れていないことを支えとしているように(現在の阪神は決して弱小球団ではないし、岡田監督も2005年にちゃんと優勝しているわけだが、リリーフの概念を変えたJFK確立など独自の采配を駆使しても岡田の優勝は星野遺産として過小評価される傾向にある)、その星野が自らの支えとしてきたのが島野育夫だった。
中日から阪神へ、影のように常に星野を参謀として支え、現役時代の最晩年には阪神のチームメイトとして黄金ルーキーだった当時の岡田監督ともプレーした彼が2002年以降生まれ変わった阪神タイガースに残した影響は計り知れない。


さすがに日の丸を背負った星野の気迫と覚悟は見事だったが、田淵・山本浩二との仲良しコンビ組閣で実質内野守備の指示を出しているのは選手の宮本(ヤクルト)という危うい光景が散見された先日の北京五輪・最終予選(台湾)でも、島野さえ元気ならきっと星野は彼をコーチ陣の一人に迎えたかったのだろう。まだ63歳。早過ぎる訃報だと思う。体調の悪化で2003年のセ・リーグ優勝以来、ヘッドコーチ→総合コーチ→二軍監督→総合特命コーチと徐々に現場を離れていく中で最後まで阪神の行く末を気にかけていたらしい。韓国戦後に真っ赤な顔で興奮しながらインタビューに応えた星野監督の表情は多くの野球ファンの感動を呼んだが、星野の体調も心配だ。日本球界はそろそろ王・長嶋・星野を解放してやったほうが。


しかしこうして改めて年齢を見ると野村克也の元気さが際立つね。確か一昨年亡くなった仰木さんが享年70歳で同い年だったから、もう72歳だろ。